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タイトル: 認識的モダリティの婉曲用法 : 「ダロウ」はなぜ婉曲用法をもちにくいのか
その他のタイトル: Epistemic Modals as the Linguistic Means for Hedging : Observations of Daroo in the Sentence Final Positions
著者: 蓮沼, 昭子
HASUNUMA, Akiko
キーワード: 認識的モダリティ
推量
断定
共通認識の喚起
発行日: 20-Mar-2016
出版者: 創価大学日本語日本文学会
抄録: 「ダロウ」が婉曲用法を有するか否かについて、国会会議録の発話末で使用された「でしょう」の例の観察に基づき分析を行った。その結果、「ダロウ」は、確認要求用法としての使用が圧倒的な割合を占め、中でもその下位の類型である <共通認識の喚起>用法が大半を占めていることが明らかとなった。そして、推量用法、確認要求用法のいずれにおいても、単独で文末の言い切りに用いられた「ダロウ」は、婉曲表現としての用法を有さないとの結論に至った。「ヨウダ・ミタイダ」「カモシレナイ」は文末での婉曲用法をもつが、「ダロウ」がそれをもたない理由は、認識的モダリティの体系における「ダロウ」の特質やその基本的意味・機能を正しく把握することにより説明可能であることを指摘した。
婉曲表現
URI: http://hdl.handle.net/10911/4555
出現コレクション:第26号

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